2006年06月21日

「ロマネスクの魅力」

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ロマネスク時代の絵画の魅力は他に類のない発想で、「写実主義を否定した大胆な形態の面白さや、その強烈な色彩感覚にある」と馬杉宗夫氏は解説しておられますが、そのルーツはラ・セウ・ドゥルジェイの司教美術館所蔵のベアトゥス本(黙示録の注釈と美しい細密画のある10世紀のモサラベの写本)の挿絵です。

ロマネスク絵画の代表としてしばしば登場するタウイのサン・クレメンテ教会の「栄光のキリスト」については、実に多くの方々が解説されていますが、一番大切なことはカミロ氏の指摘である「全能の神でなく、救世主としての神」、「ユダヤ教の影響を受けていない古いキリスト教の芸術」という認識です。                          

難しいテーマですが、ロマネスク時代の神キリストとその後の神キリストとの違いは「祈る人」と「神」との距離と考えると分かりやすいようです。ロマネスク時代の人の熱い心は素直で単純で、現代では想像できないほど「神」を信じ、その信頼というか距離の差だとカミロ氏は示唆しています。

「スペイン巡礼の道」の著者粟津則雄氏は「全能者キリストは天使や四人の福音書作者に囲まれ、聖母や使徒を従え超自然の青のなかで、栄光と威厳にあふれた姿で、全世界を支配している」と表現されていますが、この時代の人々の心の重石となっていた「紀元千年をすぎるころ訪れると恐れられていた最後の審判」が来なかったことへの神への感謝と安堵の念に似た素朴な祈りは「栄光のキリスト」そのものです。

「難しいことは考えない どうぞ助けてください」と願う心に最も相応しいお姿で、これがロマネスクの最大の魅力です。
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2006年06月17日

「ロマネスクの特徴」

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スペインとフランスのロマネスクの教会の存在には、神への奉仕の他にイスラム勢力との抗争の拠点という使命があります。

イスラム勢力のイベリア半島への進出は 711年に始まり、僅か数年のうちにイベリア半島の全域に及びます。これを完全に取り戻したのは1492年。実に8世紀間の歳月を費やしています。

その間、期間は短いのですがイスラム勢力はビレネー山脈を超えて 732年にはポワティエまで侵入。シャルル・マルテルが侵入阻止に成功しなければ、その後の歴史も変わっていたかもしれません・・・

このことがクリュニー派に依る巡礼の振興・奨励を企画させ、極く自然にレコンキスタの後盾的存在となりました。ピレネー山麓のボイ谷の教会の鐘楼は信仰の象徴的存在であると同時に、イスラム防衛のための見張りという役目を果たしていたようです。

スペインのノーベル賞作家カミロ・ホセ・セラ氏の「ピレネー紀行」のなかに、「サン・クレメントとサン・ジョアンとサンタ・エウラリアの三教会の鐘楼は一直線上にある」と書いてあり、とても偶然とは思えません。小さな窓、頑丈な石積みと小さな入口や直線でない街路など、守ることを意識した備えなのでしょう。

ボイ谷の最奥のタウイのサンタ・マリア教会の祭壇画を撮影した時のこと
現在は参観料をとっていますが、2000年の二度目のおり、どなたも居られず、照明もありません。見上げるマリア様と東方の三博士のフレスコ画は薄暗く朧でした
露出時間30秒
今考えると十三世紀のロマネスクの教会の中の照明はこの状態なのだと思いました・・・
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2006年06月14日

「ロマネスクの歴史」

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ロマネスクとは広辞苑に「11世紀から12世紀中葉にかけて、フランス南部及びイタリア北部を中心にヨーロッパ諸国にに行われた建築・彫刻・絵画の様式。古代ローマの諸要素を復活させると共に、東洋趣味の感化をも受けて新たに作りだしたもの」とあります。

少々解説しますと、ロマネスク様式発祥の地は北イタリア・フランスのブルゴーニュ地方と、今回私の提案した「1659年のピレネー条約成立以前のカタルーニャ」の三地域です

その後のキリスト教の文化、例えばゴシックなどと違って画一性は全くなく、学者は「地方的多様性のなかの統一性」と表現していますが、地域の特色とその地の素材を生かし、創建時代のその地域の社会的ニーズをとりいれて造られています。

イタリアはロマネスクより優れた観光資源に恵まれ、その上往年はヨロッパの文化の旗手的存在でしたから、ロマネスクは殆ど忘れられています。
有名なピサの斜塔はロマネスクです。

また、フランスはゴシック様式発祥の国で、その上宗教を否定する「理性の時代」や「フランス革命」などの影響で完全な形で保存されていません。幸いピレネー山麓を中心とするカタルーニャは文明文化からほど遠く、往年の面影が豊かに残存できたのです。

一般的に、キリスト教徒はそれぞれの時代に「最高のもの」をもって自分たちの神に奉仕しようと努力します。新しい様式は先ず教会から始まり、王侯貴族に続き、金持ち庶民と波及して行きますので、自然の成り行きでは様式の変遷は防げません。このことは教会の探訪には、よく心しておかなければならないことです。敬虔に神を敬うからです。
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2006年06月11日

「はじめに」

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私がスペインのロマネスクに凝りだしたのは、今でもその瞬間をよく覚えています

あれは、1998年 6月28日の午前11時ごろ

場所はフランスの国境に近いピレネー山脈
ボイ谷にあるサン・クレメンテ教会の祭壇の前にたった時からだった・・・
それまでは古い建物が主でした

前日の宿泊地はビエリャ

リゾートの街としてはかなり有名な所です。スペインを旅行される方は「パラドール」と聞くと目を輝かせます。一口に申し上げると五つ星の最高のホテル。街からは少々離れていましたが、山麓の素敵な所で、頂上部分には残雪もあり、しばし日没を楽しみ明日の山間僻地での古い民家との出会いで少々興奮ぎみでした。

しかし、期待のボイ谷観光の朝は悲惨でした

雨というより豪雨で、昨夕の優雅な山脈は厚い雲に隠れ、風さえあります。重装備の雨支度でバスに乗ると添乗員のkさんは「お早うございます。これからスペインの秘境ボイ谷に向かいます。ボイ谷は1948年にビエラ・トンネルが開通するまでは全く交通手段のない所で千年前の独自の伝統を持ち続けてきた奇跡の谷です。トンネルは約30分かかり、そこを抜けると別世界です。例えば、今豪雨で皆様は非常にがっかりしておられますが、むこうは晴れているかも知れません。なにしろ別世界ですから」と慰めてくれるのですが、誰も信用しませんでした・・・

トンネルを抜けると青空でした
その瞬間バスは大歓声

ボイ谷はそんな所です

1999年12月、谷の一番奥のタウイのサンタ・マリアとサン・クレメンテ、ボイのサン・ジュアン、一番トンネルに近いバルエラのサン・フェリオの四か所の教会が世界遺産に指定されました。アクセスと知名度のおかげで、今では主要観光ルートの一つになりましたが、私が祭壇の前に立った時は千年まえの雰囲気がそのまま残っていましたので、ロマネスクに傾倒いたしました。

その後、この谷を三度訪れていますが・・・
その都度変容して、1998年に感激して、撮りまくった古い民家は今は一軒も残っていません。悲しいことです。

 今回皆様に見ていただく写真は、経年に依る変化した部分はなるべく撮らないようにアングルに気をつけましたので、もし、行かれたら私の悲しみも分かって頂けると思います
posted by 清水準一 at 00:29| Comment(1) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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